個展作品集

宇宙の不可思議・東洋の神秘性・幽玄性など、現実の対象物青かりて表現しようと追い求めて来ましたが、奥は広く・深く、疑問や構想が入り乱れ、果てしなく続いています。
しかし、深ければ深いほど心は躍り、より高次元を求めて試作をくりかえしています。
楽しみながら息長く続けることが出来れば幸です。
其阿弥 赫土


画面に心象の声が聞こえる

其阿弥さんは日本画家であって、なお花鳥風月の華美を措こうとしない。
10年ほど前其阿弥さんは自分の作品に「浄韻」という題を好んでつけていた。

題材は雪のシンシンと降る森の中の御堂であったり、薄日の漏れる樹間に立つ寺院であった。
たんに世俗の騒音や雑音がそこまでは届かないという意味での事実としての静寂ではない
人の心に住まう雑念、世事への関心が無に帰してしまう沈黙の境地にあって
どこからかいつからか、音ではない音が響いてくる。その昔「浄韻」を見えるようにしたい
其阿弥さんはそう思ったのであろう。

其阿弥さんはいつも、手当りしだい、身の回りにあるもの、野菜や貝殻や草花などを写生している
画帳の上に、ものの襞、光の陰影が見事に描きあげられ、そこにまるで新しいかたちが
誕生してくるようだ。それでも其阿弥さんは依怙地にそれをそのまま作品にしない。

心象を措く、そう其阿弥さんは言う。

自宅の近くの薮に生えるたけのこを何枚も何枚も写生する。あるとき突然
それがヨーロッパ中世のゴシック聖堂へと変貌する。そこから作品がはじまる。
それはかつて、たとえばフランス施行中に見上げた一回限りの光景なぞではなく
かれにとってずうっと以前から身近にあって、朝夕見上げては祈りの合図を送る世界である。

写生で獲得した物の実在感を内に秘めながら、大きな画面に細筆で絵具を挿しこんで行く。
形のうえに別の形があらわれ、色の上に別の色が置かれ、しかもいちばん下地の形や色が
最上層に透かし出てくる。そこに、欲望の届かぬ夢幻の空間が現出する。

心象は時間の表情であり、声と響きの世界である。私の好きな詩人ポール・クローデルは、
自分の唯一の美術論集に『眼が聴く』と題をつけた。
其阿弥芸術はその長く忘れていた限の聴覚能力を私たちに思い出させてくれる 。
 
広島大学教授(美学) 金田 晋

 

 



幽玄の世界

アンコールワット他